唐沢なをき『独房の中』 月刊ガンダムエース 2004年10月号掲載

IN PRISON

■パロディと元ネタ探しの重なりの間で

 漫画は紙に描かれたメディアに含まれるので、各作者の描き癖といったものが必ず紙面に現れますし、それを抜きにして漫画を語ることはできません。竹熊健太郎×相原コージの名作「サルでも描けるまんが教室」でも触れられていたように、擬音やオノマトペ、効果線、吹き出し、コマ割り、あるいは欄外のちょっとした部分にも作者の癖が現れます。「サルまん」にはいくつもなるほどと思わされる記述がありますが、その中でも漫画家から読者へのメッセージを分類した回は、その着眼点と内容に感心したものです。

 今の主流の週刊誌や月刊誌ではほとんど見られなくなりましたが、かつては読者へのメッセージを漫画の中に書いておくことは珍しくはありませんでした。20年位前の少女漫画をよく読むと、登場人物の背景の看板や机の上に無造作に置かれた新聞や書籍の文字の中に誰かへのメッセージを見つけることができます。小さめのひらがなやカタカナ、あるいはローマ字で書かれたそれらのメッセージは、注意深い読者へのプレゼントです。読者への日頃のお礼、漫画家自身の愚痴、同業者への伝言など、その内容はさまざまですが、漫画家個人の心情や考えが透けて見えるので、パーソナルなメディアとしての漫画のあり方としては好ましいのかもしれません。

 山本直樹が昔描いた短編に、売れない漫画家が知り合いの女性に出演してもらって撮った裏ビデオで金を儲けようとする話がありました。販売の経路をまったく持たない漫画家は宣伝の方法として漫画内の読者へのメッセージを利用します。漫画の最後のページの一コマに「無修正の裏ビデオを作ったから欲しい人は××の住所まで為替で××円送れ」と書いておいたところ、全国から為替が何百と送られてきて、漫画家とその友人はビデオ(もちろんDVDが登場する何年も前の話なのでVHSビデオ)のダビングを一日中繰り返して、あぶく銭を儲けます。

 山本直樹のこの短編のような読者へのメッセージの利用例は少し極端ですが、これに似たようなことは今も頻繁に行われています。マイナーなジャンルの漫画家の作品の欄外にそっけなく書かれた http://〜 をコンピュータに打ちこめば、その漫画家の個人サイトが見つかります。そのサイトには必ずこういうページがあるはずです。「同人誌情報」、あるいは「同人誌通販のお知らせ」。

 話が大きくずれてしまいました。そういう読者へのメッセージはより個人的な作品、日記漫画や近況報告漫画、エッセイ漫画に吸収されて今では一つのジャンルにすらなっています。読者から送られてきた(実際は作り話も多々あるとは思いますが)投稿を基にした実録系の漫画雑誌などもありますし、漫画家自身の周囲で起きた出来事を描いていく私小説ならぬ"私漫画"とでもいうべきものを読んだことが誰しもあると思います。細かいネタを身近から探せる上に、誰もが思っていることをその漫画家なりに咀嚼することができるので、エッセイ風の漫画は描き手しだいでおもしろいものとなるのは確かです。でも、わざわざ作者本人と思わしき人物が登場し、読者に何事かを語らなくても、ある種のメッセージを読者に伝えることはできます。その方法の一つがパロディです。

 現在、週刊アスキーで連載している「電脳なをさん」で、作者の唐沢なをきはさまざまなパロディ作品を描いています。藤子不二雄の「まんが道」、田川水泡の「のらくろ」、松本零士銀河鉄道999」、あるいはTVドラマ「怪奇大作戦」などに、コンピュータ関連の時事ネタを盛りこみ、さらに細かいネタをこれでもかというほど投入しています。このパロディの形式の延長として月刊ガンダムエースに掲載された読みきりが『独房の中』です。

 この短編はTVアニメの「機動戦士ガンダム」を基にして安彦良和の描いている「機動戦士ガンダム THE ORIGIN」の1シーンを、花輪和一の「刑務所の中」に似せて再現させているので、そのどちらも知っていることが読者に要求されます。花輪和一は錆び付いた実銃を手に入れ、それを改造したことで1994年12月に逮捕され、約三年の時間を拘置所と刑務所で過ごしました。この経過は詳細に「刑務所の中」に描かれていますが、単調とも言える日々の生活の中で繰り返される食事や労働の様子は、普通の生活に慣れた人間にはかなり新鮮なものです。あの細部の描写を真似してみたくなる気持ちはよくわかります。

 花輪和一的な表現を唐沢なをきが選んだ理由は明白です。よく出来たパロディ作品は、オリジナル作品への敬意と感想と批評にあふれています。この作品は唐沢なをきから花輪和一へ向けた讃辞です。塩分のない食事、使いづらい水洗便所、運動不足、独房に閉じこめられたアムロはことごとに不満をもらします。それがいちいち花輪和一的な表現で描かれているのがおかしくもあり、巧いものです。

 この短編を理解するには「機動戦士ガンダム」と「刑務所の中」を知っている必要があります。どちらも人口に膾炙した作品なので、その両方を知らない人はあまりいないとは思いますが、この難しすぎない作品の選択も有能なパロディ作家の一つの条件です。わかる人だけがわかればいい、という態度をとる作り手と受け手は少なからずいます。でも、それは間違いです。あまりにマニアックすぎるネタを作品に投入する漫画家がたまにいますが、その多くは作品の内容に中身がありません。読者の数は一定ですから、作品を深い方向に突き詰めていくと読者はふるいにかけられ、理解できる人数がどんどん減っていきます。その数の減り方は指数的です。最初は理解できる側にいた人もすぐに理解できない側になります。作り手=受け手ではないのですから、マニアックな方向に走る作り手のメッセージは、海に流したボトルの中の紙片と同じです。

 漫画家は読者にメッセージを伝えようとします。パロディ作品ももちろんその方法の一つですが、そのメッセージは簡単に宛先不明になりやすいのです。有能な作り手とそうでない作り手の差は、受け手にメッセージを確実に届ける方法を知っているかどうかです。唐沢なをきがその有能な作り手の一人であるのは確かです。