いしいひさいち『現代思想の遭難者たち』 2002年 講談社刊

MP

 ■4コマ漫画にストーリーは必要か、その答えはいしいひさいちにあり 
 今回から見出しをつけてみます。自分が何を書いていたか、すぐに忘れてしまうものですから。

 大き目の本屋の漫画コーナーには必ずと言っていいほど4コマ漫画雑誌が何冊も置かれています。場所によっては、そのコーナーの三分の一以上を4コマ漫画雑誌が占めていることも珍しくありません。ある特定の雑誌社が中心となる4コマ誌を一つ創刊します。それからしばらくするとその増刊枠で似たような名前の雑誌がもう一つ創刊されます。またしばらくするともう一誌、それからもう一誌……と、いつの間にか読者が把握できないほどの4コマ漫画雑誌が出版されています。

 今の4コマ誌に載るような作品は、日刊新聞に載るような旧態依然とした4コマ漫画とはかなり違っています。漫画的に設定されたキャラクターを登場させ、ゆるやかなストーリーの流れを生み出すことが必須の条件となっています。そのため、4コマでの起承転結は必ずしも必要ではなく、8コマ、場合によっては16コマで一つの話が閉じられることも多いのです。

 こういう4コマ漫画を描き始めたのが誰なのか、それについてはよくわかりません。いがらしみきお蛭子能収の描いたような漫画が元になっているのかもしれませんし、もう少し後の吉田戦車相原コージが描いていた××シリーズのような、同じキャラクターを使った4コマ漫画をより発展させたものなのかもしれません。

 わたしが具体的にこういうストーリー性のある4コマ漫画を意識したのは、小池田マヤの「バツイチ30ans」を雑誌連載中に読み始めた時からです。30歳を超えた自立した女性が日々の生活の中で感じる葛藤や不安を描き出したこの作品に対して、読者の好みは分かれるかもしれませんが、毎月読むに値するだけの質を持っていました。しかし、その一方で常に疑問もありました。この漫画ははたして4コマ形式である必要はあったのでしょうか。

 ストーリー4コマ漫画に対してこの疑問は常につきまといます。普通なら1ページで描かれる内容を分解しそれを4つのコマに移し替えただけのもの、画面構成の必要のない絵コンテのような漫画、という印象をぬぐえません。おざなりの背景の前に、描きこみの少ない上半身だけの人物、そしてそこにセリフが大きくかぶさります。

 4コマ界にも今の漫画の流れが確実に入りこんでいることは明らかです。キャラクターの個性、時にそれは"萌え"と呼ばれるもの、が重要視され、起承転結のある話や描きこんだ絵といったものはキャラクターの個性を浮き立たせるために排除されます。電撃系やガンガン系の漫画はかなり前から4コマ界に参入していました。あずまきよひこあずまんが大王」はその代表的なものだといえます。

 その一方で、昔からの4コマ漫画家も細々と描き続けています。その代表格がいしいひさいちです。そのいしいの2002年の単行本「現代思想冒険者たち」は現代思想家をテーマとした4コマを集めた単行本です。いしいは講談社の「現代思想冒険者たち」という一人一冊の解説本の月報に4コマ作品を描いていました。時には諧謔と笑いで、時には辛らつな批評で、現代思想家とその思想のキーワードを巧みに漫画に取りこんでいます。

 たとえば、フーコーは自身の髪が薄いことを常に気にしていました。ある日思い立って彼は剃刀で自分の頭を剃り上げてしまいます。その日から頭髪のことを思い悩むことはなくなった、と彼は言っていたそうです。もちろん、いしいがそのフーコーの言葉を見逃すわけはありません。ハゲを隠すこと=権力からの自由な主体となること、いしいはそう解釈します(言うまでもないですが、これはギャグです)。

 もう一つ、1946年、ヴィトゲンシュタインと論争中のポパーは、ヴィトゲンシュタインが暖炉の火かき棒をもてあそんでいるその態度に怒り、それを強い調子でなじりました。これは実際にあったことです。いしいはこの記述も見逃しません。家に帰ったポパーの元にヴィトゲンシュタインがたずねてきます。取り次いだポパーの妻に「非礼をあやまりたい」と告げたヴィトゲンシュタインの言葉に、ポパーはこころよく許す気持ちになりますが、妻は続けて言います、「あやまりたいと……火かき棒を持って」。ポパー反証可能性ならぬ"反撃可能性"のためにバットを用意します。

 「現代思想冒険者たち」は研究者が一冊ずつ書いているので、その内容に多少のバラつきがあります。思想の要点だけをまとめられている人もいれば、その人の生涯が思想とからめて語られている人もいます。いしいの漫画が面白くなるのはその思想家の生活や言行がネタになるときです。これら著名な思想家がいしい漫画の典型的なキャラクターとなるさまはまったく見事です。当然ですが、政治家もスポーツ選手も、そして現代思想家もそれぞれ確固たる個性を持っています。彼らのちょっとした言葉や行動が4コマに組みいれらるとき、ストーリーではなくキャラクターが物語をつくっていきます。それは今の4コマ漫画と似て非なるもの、萌えや内輪受けギャグからはるかに遠いものです。今のストーリ−4コマに物足らない点は、4コマで語れないことを無理に4コマにする、その形式への無自覚さにあります。普通の漫画は普通の漫画の形式で描く、それはとても単純な話です。