宇仁田ゆみ『ラブライトマン』 2002年 シルキー増刊スパイス掲載

LoveLightMan
 漫画家が漫画業界を描いた作品というのは多少なりとも読者の興味を引きます。業界実録ものとして現実の漫画界を描いているものでもないかぎり、登場人物や状況設定はもちろん作者の作りごとになりますが、それでも漫画家としての作者の実体験がどこかに反映されていますし、漫画に関する作者の見方や考え方がうっすらとわかることが多いのです。

 宇仁田ゆみ『ラブライトマン』はシルキー増刊スパイスに読みきりとして掲載、単行本『男女』に収録されています。作者の後書きによると、このシルキー増刊は女子向けH系まんが誌ということですが、恋愛の発展した状態でのセックスを描いているのでまったく普通の少女漫画作品となっています。

――新人エロ漫画家のソブエ(祖父江)は、アシスタントとバイトを行いながら、年に何回かエロ漫画雑誌に作品を発表しています。ソブエと同棲しているミワコは、頼りなくも頑張るソブエと暮らすことに喜びを感じていますが、彼の描いた作品を読んだことがありません。ソブエにはセックスの時に照明をつけたがる癖があり、不審に思ったミワコは問いただします。ソブエは自分のエロ漫画のモデルとしてミワコの体を観察していると話しますが、それを聞いたミワコは恥ずかしさから怒りを感じてしまいます。――

 この新人エロ漫画家のソブエという男の描写については曖昧で不思議な感じがします。確かに生身の人間の方がモデルとしての融通は利きますが、ミワコに漫画のモデルになってもらっている描写はありません。それにソブエは資料と称したグラビア写真やエロ本を大量に持っています。しかし、その一方で自分のエロ漫画はエロくない、まろやかだとミワコに告げてもいます。これはどういうことでしょうか?

 1990年代の終わりに巻き起こったネオ劇画ブームで、エロ漫画はそれ以前のものとの間に断層ができてしまいました。性器を明確に描写すること、現在のエロ漫画家にはそれが必須の技能となったのです。なので、自分の彼女の体をエロ漫画のモデルにするというのは、普通に考えれば彼女の性器を模写しているということです。ソブエにはそれができそうにありません。ちょっとした話に少しのエロを混ぜた雰囲気重視の作品、ソブエはそういう毒にも薬にもならないようなエロ漫画を描いているのでしょう。
 でも、そういう傾向の作品というのはすぐに飽きられてしまいます。ソブエは実在の漫画家にたとえれば陽気婢(この人にはいつか触れます)のように、ポルノを描く一方で一般のマイナーな雑誌に描くようになるのかもしれません。あるいは、よりハードなポルノ描写に挑むのかもしれません。

 宇仁田ゆみが読者に見せたエロ漫画家のイメージは今はもうないものですが、それが一種のファンタジーとして漫画の中に残っているのは面白いことです。日活ロマンポルノでポルノ映画を撮っていた中原俊金子修介周防正行といった映画監督のように、ソブエもポルノを描いていた自分の過去を振り返るようになるのでしょうか。

 ソブエはミワコに今まで見せたことのなかった自分のエロ漫画を読んでもらいます。そこにはソブエから見た美化されたミワコが描かれています。自分をもっと肯定して自信を持つべきだ、とのソブエの言葉にミワコは心を動かされます。間違いなく彼女はだまされていますが、この少女漫画的な自己肯定はハッピーエンドに欠かせないものです。駄目男のスケベ心が少女の勇気につながる話は計算されていてうまいものです。自己肯定と現状無視。これも少女漫画のテーマの一つだとわたしは考えています。