荒俣宏/柴田文明『ダークマドンナ』 1994年 メディアワークス刊

 原作者と漫画家の関係というのは読者の知ることのできない事柄の一つです。あるいは、漫画家と編集者の関わりというのも、漫画を読むだけでは推測することしかできません。話の大筋を考えているのは誰か、人物や背景設定を行っているのは誰か、漫画の黎明期ならいざ知らず、現在では大なり小なり分業制がとられていることは周知の事実です。

 荒俣宏/柴田文明『ダークマドンナ』は90年代前半にコミックコンプに連載された作品です。
 ――荒廃した近未来と思われる地球、トイフェル(ドイツ語で悪魔)と呼ばれる謎の生命体に世界のいくつかの地域が攻撃され、占拠されています。人間とトイフェルの小競り合いのような局地的な戦いは繰り返されますが、人間の側に勝利は訪れません。トイフェルは人間の深層心理に攻撃を仕掛けてくるため、普通の人間の兵士では太刀打ちできないのです。そのため、トイフェルの心理攻撃を受け付けない、ノンマーカーと呼ばれる特殊な人間が軍に組み込まれます。ノンマーカーの一人であるバニタス・レーレは戦いの中でトイフェルと遭遇します。そして悪魔のような外見をした怪物たちの意思、この世界の秘密のようなものに触れていくことになります。――

 このノンマーカーというのは、感情を持たない一種の自閉症的性向を持った人間として描写されます。軍隊では規律と訓練によってロボットのような兵士を作り出すのが理想だと、しばしばフィクションで描かれることがありますが、実際は戦闘意欲のある感情を持った人間だけが優れた兵士になれるといいます。感情は共感力や判断力に結びつくため、その能力が低いと目的遂行のための集団行動がとれないからです。

 バニタスはあらゆる面で兵士としては失格です。死を恐れず、仲間を平気で危険にさらす。バニタスのような人間にしかトイフェルに対抗できない、その皮肉な状況を描くこともこの漫画の主題の一つです。

 柴田文明の硬質で抑えた絵、荒俣宏のいかにもな用語を使った設定がいい雰囲気を出しています。ただ、単行本一冊で完結してしまったため、話がきっちりと最後まで書かれていないような印象を与えるのが残念です。ただ、最後のバニタスの決断にいたるまでの流れは緊張感があってすばらしいものです。
 バニタスは美しさや愛といったものを感じることができないゆえに、天使の姿を借りたトイフェルと対峙することができます。トイフェルは彼を誘惑しますが、何ものも彼の心を動かしません。富も情愛も美も、そして醜さも。そのバニタスの最後の決断が不思議な余韻を読者に与えます。

 この漫画の原作は荒俣宏となっていますが、荒俣がどの程度を話を考えたかはよくわかりません。おそらく、大まかな世界観や細かい用語、話の開始点と流れを示して、作画の柴田と編集者が作品の大部分を作ったのではないかとわたしは推測しています。とはいっても、これは単なる推測で、事実ではありません。読者には類推することができても真実はわからないのです。この『ダークマドンナ』自体がそういう主題を持ったお話の一つなのですから、これくらいの憶測は許してもらえると思います。